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2016年 11月 07日
大正は、大阪市内では、新しい町で、江戸時代に新田開発された町だそうです。
木津勘助(中村)さんと言う方が、慶長16(1610)に新田開発を始められたそうでです。 島唄は、元々米軍が攻めてきた時の悲哀を歌ったものだとか。 ザ・ブーンさんが歌われていますが、沖縄の人たちは複雑な心境だったとか。 デイゴの花は美しいけれど、悲しくも見えます このソテツの実は甘いけれど毒があるそうです。 沖縄では、貧しい暮らしを強いられ、食べるものがなく、敢えて食した「ソテツ地獄」と呼ばれた事もあったそうです。 頂上からかすかに、ハルカスが見えます。 中国や東南アジアとの交易により、豊かな島だったのが、交易権を外務省に奪われた。 そのあたりの事実はまだ調べている途中ですが、沖縄の人たちは日本人に酷い目にあっていたという印象は深まるばかりです。 大正区は、8カ所の渡船場のうち7カ所あるそうです。 ここは、道路なので無料で船に乗れます! なぜ、橋が架けられないか? 大型船、タンカーなどが航行されているので、橋が架けられないとか。 不便だけど、のんびりとした日常が流れているようです。 1分少々の船の旅です。市民の生活に根付いている渡船ですので、普通に皆さん自転車に乗って乗られています。 木津川と三軒家水門難波島、月初島と呼ばれていたそうです。 大阪紡績を始め紡績工場をはじめ、工場が建ち並ぶ町となり、沖縄から多くの人が出稼ぎでやってきました。 朝鮮人、沖縄人、お断りと、就職や住む所にも困るほど差別されていました。 なので、名前を変え、日本人と同じ暮らしをし、差別から逃れてきました。 そんな世代を経て2世3世の若い世代で、沖縄の歴史と文化を知り、大切にし、守って行こうき、ヤマトンチュと共に暮らしていける活動をされているそうです。 メンソーレ大正祭りには全国から2万人もの人が訪れるそうです。
by ikawa-re
| 2016-11-07 12:01
| 大阪あそ歩
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