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2011年 11月 07日
花川地区には、大戦中に高射砲陣地があったそうです。
そこは、淀川が出来たときに、中津川が埋め立てられて出来た土地です。 大きな空き地であり、周囲から満州広場などと呼ばれていたそうです。 戦後もしばらくは、そのまま放置されていました。 そういった施設があったため、戦時中は砲撃され淀川にも多くの爆弾が打ち込まれました。 米軍は淀川大橋を爆破したかったようで、執拗な攻撃をしたそうです。 その攻撃から守るために高射砲陣地が作られたそうです。 で、戦後の淀川は水か綺麗で周辺の子ども達にとって、絶好の水遊びの場となりました。 流れも速く、一応遊泳禁止になっていたそうですが、当時のガキ大将達は向こう岸まで泳げると自慢の種になるので、こぞって泳いだそうです。 しかし、流がされる事故もあったそうです。 泳ぎ切るには色々コツがあったそうで、川下流されるように泳ぐとか、砲撃であちこち川底に穴が空いている場所があり、流れが変わって川底に引き込まれそうになったそうです。 また、当時の淀川は今ほど川幅がなく、所々に島が出来ている場所もあったそうです。 淀川は川として土地を掘ったのではなく、周りに堤防を作っただけだそうです。 なので、川幅も狭かったそうです。 私が疑問に思っていたことがあります。 2000年前は海だった大阪が、淀川の流れによって土砂が運ばれ徐々に陸地が出来てきたと。 で、現在の淀川ができて100年と少したちますが、その土砂はどうなっているのか? 堤防が出来て、その真ん中あたりを流れていた淀川は、今度は周りの土砂を削り、川幅を広げていったようです。そして海の底に今でも貯め続けているのでしょう。
by ikawa-re
| 2011-11-07 15:44
| にしよどの歴史
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Comments(2)
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by
rie
at 2011-11-08 10:57
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淀川の大改修のおり砂防措置もある程度とられているようですよ。上流では土砂の流出を防ぐ植林。中流域では河岸が削り取られないようにする措置(河岸堤防で固めるのでしょうか?)河岸のコンクリート化によって土砂を削り取られる事が少なくなり、何よりも直線的に川を流した事で川の流れの強弱ができにくく、土砂の堆積がしづらくなっているのかな。それでも少しづつは大阪湾に土砂は堆積してると思われ、大阪には土砂の採取の組織があったはずです・・(うろ覚えですみません)
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ikawa-re at 2011-11-09 10:45
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