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2017年 01月 21日
花のれんと違って、こちらは評伝。
事実の方がおもしろいです。 朝ドラの原作は花のれんかなぁ。 ご実家は明石のとありますが、明石出身の父が大阪にでて、天五で米穀商を営んでおられ、 明治22年12月5日に三女としてうまれます。 12人兄弟のなかで、育ち、尋常小学校を終えると船場の商家に奉公にだされます。 このときに、船場、大阪商人の知恵や生き方を身をもって学ばれたのでしょう。 若いときの苦労は買ってもしろ、うちの父に言われました 18歳で吉本泰三(吉兵衛門)の元へ嫁ぎます。 上町、本町橋際、荒物商です。 この泰三さん、役者遊びに明け暮れ、家業を顧みようとしません。 当時娯楽と言えば、芝居や落語を、楽しみ、終演後に気に入った役者を連れて飲みに行くのが船場の旦那衆や、御両人さんたちの楽しみ。 芸者さんたちと飲んで騒ぐより、高くついたのでしょうね。 多分、役者さんたちと、芸者さんたちがいるお茶屋で飲んだはずなので、役者は当然飲み代なんて払わないし、その分確実に高くなりますよね。 困ったことに、彼は剣舞にはまり、それが演じたいものだから、太夫元になって、旅巡業にでては、狡猾な興行主に良いようにされ、それでも、興行による投棄的なうまみに魅せられ、ますます家業にほっぽりだす、始末です。 とうとう、廃業に追い込まれます。 明治45(1912)第二文藝館(天満天神の裏門近く)の創業、買ったのではなく、権利をかって借りた、あちこちから借金をし、せいさんの実家からお金を借りて、開いたそうです。 当時は寄席は落語が主流で、桂派と、三友派に、分かれていたそうで、そんな中第3勢力岡田政太郎率いる浪花反対派と手を組み(泰三の役者遊びの甲斐?あって)興行されました。 本格的な落語ばかりではなく、色物も多く、入場料を安くしたので、庶民が気軽に訪れ、繁盛したようです。 氷の上で冷やし飴を転がして冷やして売ったり、辛いお菓子をおいて、飲み物も売れるようにしたり、雨の日には、お客の下駄を拭いたり、暑い日には落語家さんの背中の汗を拭いてたり、せいのアイデアや大阪商人の誠意ある商売の仕方で、繁盛していきます。 小屋も1軒だけの経営より、多くの小屋を合理的に経営する方が利益が上がるので、次々に周辺の売りに出される小屋を買っていきます。 泰三さんは老舗の金沢亭を始め22もの芝居小屋を買収しました。 結婚して17年後大正13年、34歳になったとき泰三さんは亡くなります。 脳溢血の突然死と言われていますが、腹上死した噂もあるようです。 この調子で書いていくと、終わらないような。。。。 続きはいつか又。 大正2(1913)吉本興行部として、本格的に興行の世界へ 昭和7吉本合名会社昭和13株式会社 昭和23(1948)上場
by ikawa-re
| 2017-01-21 15:39
| 映画大好き!
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