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1 2019年 02月 03日
昨日も楽しく! ![]() 病気をしていたわけではなくて、まぶたがたるんで視界が悪くなっていましたので、パッチリお目々にする手術を受けました。 本人は、色々悩んでいたようですが、結果よく見えるようになって、一安心です。 で、思ったのですが、元々目の細い人って視界悪くないんでしょうかね。 ![]() お刺身三種盛り ![]() 豚しゃぶサラダ ![]() ![]() 穴子の天ぷら ![]() 鯛のあら炊き どれも美味しかったです。 いつもの「まこと」さんです!
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by ikawa-re
| 2019-02-03 10:13
| にしよどのグルメ
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2019年 02月 03日
最後の将軍、徳川慶喜、昨年から幕末鳥羽伏見の戦いを、色々な角度から見てきましたが、慶喜については把握するまでは時間が足りず、中途半端な状態でした。 今回この本を読んで、色々納得。 彼は非常に頭のいい人で、開国を進め、諸外国と通商を始めようとします。 フランス協力して貰い軍事力を上げようとします。 色々な事が行き詰まり、開国に向けて諸外国と渡り合って行くには、天皇を中心とした中央集権国家を作ろうと、大政奉還を選択します。 幕臣達は、猛反発します。 彼は水戸藩の貴公子として生まれ、一橋家の当主となり、徳川家の将軍となります。 信頼できる家臣団を持たない、孤独な将軍。 幕臣の気持ちなんてわかろうともしません。 彼らが失業することなど、気にもかけません。 勝海舟が御家人たちを静岡に連れて行き、お茶の栽培を行い、収入が得られるように尽力を尽くしたのとは大違いです。 静岡時代、新政府で出世した勝海舟が、慶喜の復権に尽力をつくしますが、慶喜の事は快くは思っていなかったそうです。 一般庶民からは慶喜のせいで、物価が上がり生活が苦しくなったと、思われ嫌われます。 庶民の暮らし向きがどうなるのかとか、考えてなかったそうです。 慶喜は徳川家では、日本が持たないと考え、中央集権国家を作り、富国強兵を実行しなければ、外国に占領されてしまうと、考えていたようです。 よって、鳥羽伏見の戦いでも、早く戦いを終わらせるために逃げるようにして大阪を後にしたとか。 それから、大正期まで慶喜は長生きします。 珍しいことです。 権力を失った元権力者は、暗殺されるとか、獄死するとか、幽閉先で亡くなるとかします。 慶喜由縁なんでしょう。 有栖川威仁(たけひと)(熾仁親王の息子)親王との交流により、皇室にも縁ができる。 晩年は、爵位も与えられ、明治天皇を始め多くの皇室関係者と、親交をを深め、皇室行事にも参加しています。 ![]() ▲
by ikawa-re
| 2019-02-03 09:43
| 映画大好き!
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